日本平和大会・沖縄に参加して
“平和でこそ”の思い新たに

 1月30日から(国際シンポは29日から)2月1日まで沖縄で開催された「日本平和大会」では、全国から1千7百名の人々が集まりました。初参加者2名からの感想を掲載します。

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 僕は沖縄へ行くのも、平和大会への参加も初めてでした。岡山からは50名近く、全国から2千名近い人が参加しており驚きました。
 初日は南風原陸軍病院壕跡、糸数壕、平和祈念公園資料館の見学。糸数壕では実際壕の中に入りました。壕の中は真っ暗で各自持ってきた懐中電灯が頼りでした。また地元ガイドの方が戦争当時の壕の中で過ごした方の証言を読んで下さったのですが、負傷した兵士の叫び声やにおい等、当時の壕の中の様子が目に浮かび、壕の中にずっといると息苦しかったです。
 2日目は米軍基地の見学、辺野古海岸で地元の方との交流。日本にある米軍基地の中で、実際に見たのは今回が初めてで、基地の中を米兵が歩いているのを見ると、何か自分が日本にいないような気分にもなりました。また基地の広大さにも驚きました。辺野古の交流会では、地元の若者が辺野古の海を守ろう、海上基地反対と力強く発言したことに、とても感動しました。
 3日目の討論会では、各地より平和活動について報告がありました。みんなそれぞれがんばっている話を聞くととても元気も出たし、やる気も起きました。
 平和祈念資料館の展示の結びの言葉で、「戦争を起こすのはたしかに人間です。しかしそれ以上に戦争を許さない努力のできるのも私たち人間ではないでしょうか」…という文章がありました。戦争は起こしてはならないし、起こさせてもならない、それに対し僕らに何ができるのか、何をすべきなのか考えさせられました。また機会があれば、日本平和大会へ参加できればと思います。みなさんも一度参加してみませんか?
 全国・世界へ平和を訴えましょう。
(岡山医療生協労組・大久保卓也)

 初めて沖縄平和大会に参加させていただきました。現地では、2日目に“忘れてはいけない歴史”を学ぶために、南部基地・戦跡めぐりに参加しました。
 糸数壕(アブチラガマ)内では、真っ暗闇の中、懐中電灯の灯を頼りに、足を踏み入れました。240mにも渡る大きな洞穴内は、住民の避難場所でもあり、日本軍の作戦基地でもあり野戦病院としての機能も持っていたとのことでした。その中で過ごされていた方々、何より医療の場であったという現状は、医療従事者の私にとって想像を絶するものがあり、ガマで過ごされていた方々の証言と重なり、言葉を失いました。
 次に印象深かったのは元ひめゆり学徒隊の方のお話でした。13歳の少女が、軍医・看護師の下、戦争で傷ついた人々を救うために行った看護・雑役の様々な経験は、終始胸つまる想いでいっぱいでした。
 次々に目の前で傷つき倒れ亡くなっていく同学生一人ひとりの名・姿は、戦後50年以上過ぎても忘れる時はないとおっしゃられていました。沖縄戦で生き残られた方の多くは、戦後40年近くも事実を語られる事は稀で、悲しみの深さから沈黙が長く続いていたとの事でしたが、元ひめゆり学徒の方のように、悲しみを乗り越え、私たちの世代に伝えて下さる意味を深く受け止めていかなくてはならないことを、平和の大切さをあらためて感じました。
(大分健生労組・荒木)