第50回日本母親大会 東京・埼玉
平和、いのち、女性の地位向上めざし

 「全国から集まった、おかあーさーん!女性のみなさーん!」舞台からの呼びかけに、席を埋め尽くした参加者は、各ブロック毎に割りあてられた7色のカードを、元気いっぱい振りかざし、会場に虹が広がります。
 7月22日、猛暑の中、東京・有明コロシアムに1万2千人を集めた母親大会全体会の様子です。
 1955年、前年にビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験により、日本は3度原水爆の被害をうけたことから、「原水爆から子どもを守ろう」と、母親大会が始まりました。
 第五福竜丸の乗務員久保山愛吉さんの妻・すずさんの「夫を返して…」の訴え。「生活が苦しくて…」と泣きながら訴える九州の炭鉱のおかあさん…「涙の第一回大会」から50回記念の大会を迎えました。
 「母親大会は、命を守りはぐくみ、平和をつくるための連帯の広場です。…本音で語り合い、その中から立ち上がり、明日への希望を切り開いた力、50年を確信に、さらに歴史を刻んでいきましょう」と主催者は挨拶しました。
 記念講演は、「アイドルだったのよ」と照れながら自己紹介する、アグネス・チャンさん。ユニセフ大使として、飢えと紛争に苦しむ世界各地を訪れ、子ども達への支援活動をしています。「私の日本語、少し訛りがアルノヨ」とジョークも交え歯切れよい語りは、聞く人をひきつけます。
 イラクやアフリカ等々で、栄養状態が悪く、下痢で多くの死者を出していること、イラクなど戦争によって、また劣化ウラン弾など放射能で汚染され命をなくすたくさんの子ども達のことを紹介し、「戦争では、子どもが一瞬にして死ぬ。日本のおかあさん!平和を手放さないで」と訴え、会場から大きな拍手が巻き起こりました。
 50回大会に向け準備された舞台では、第一回の参加者代表の発言、憲法9条・平和への願い、子どもたちのこと、教育や暮らし、各分野ではたらく女性たちから、実態やたたかいが次々報告され、感動と連帯の輪が広げました。
 看護師の厳しい労働実態については中小路貴子さん(女性協・全日赤)が発言し好評でした。
 前日21日の分科会では、埼玉・獨協大学を会場に34分科会、5つのシンポ、7つの特別企画、3つの講座、3見学分科会に合計9千人が参加し、熱心な討論で新たなたたかいへの決意を固めあいました。