安全衛生委員会活動(1) 広島市民病院労働組合
組合運動と統一 〜25年を振り返る〜

 広島市民病院が第1回安全衛生委員会を開催したのは、労働組合が結成されてから9年目の、1979年9月28日です。委員会の設置は労働基準法で定められているとはいえ、労組が要求し続けて、やっとスタートしたものです。

“しんどい”会議
 委員会と言っても当初は、副院長、主任部長、検査技師長、看護師長、副看護師長、産業医、人事担当などの「偉い」人がずらーっと並び、委員となった4名の労組執行委員が要求をぶつけていく会議でした。
 病院長の諮問機関ということで、「ここは団体交渉じゃない」「医療労働者なんだから自己責任で!」などとよく言われました。
 私たちも、団体交渉とは全く勝手がちがい、言葉遣いにも気を遣いながらの“しんどい”会議でした。

20年目に定例化
 年4回から始まり、2回、1回となり、全く開催されない年もありましたが、98年に2ヶ月に1回の定例化にすることができました。
 定例化をすれば準備も大変です。人事担当者が委員会の事務局を担当をしていましたが、事前に資料を組合側の委員に出してもらい、組合側で直前に会議をし、問題点をまとめるようにしてきました。毎回決まって出される資料は、(1)職員検診の受診状況、(2)所属ごとの超過勤務状況、(3)病休者の状態、(4)針刺し事故、についての「報告」でした。検診の受診率を高めること、時間外労働を減らすこと、長期病休者の状況把握などがテーマでした。

団交も活用して
 第1回の委員会では、(1)安全衛生に関する講習会に参加させること、(2)年間の検診項目の一覧を提示すること、(3)安全対策資料を提示することを要望。(1)の講習会は94年から毎年参加するようになりました。
 しかし、安全衛生委員会の中だけでは解決しない場合もありました。委員会はあくまでも病院長の諮問機関です。委員会で出された問題を病院は幹部会に出し、そこで決まればいいのですが、特に事業局で「予算が無い」として、蹴られることが多いのです。
 「これはどうしても」という課題は執行委員会で討議し、労組の職場要求として団体交渉にのせて要求実現を目指してきました。

保健室と保健師を獲得
 「職員が血圧測定の出来る相談室を作れ(86年)」という要求は、95年に「保健室の設置」として実現しました。さらに、検診後の相談や、気軽に受診できる体制を含めて保健師の配置を要求。04年4月1日から、嘱託ですが待望の保健師が採用されました。職員のための保健室を作り、保健師を配置している病院は、全国でもまだまだ数少ないと思います。
 市役所や水道局の職員向けの保健室は立派なものがあり、保健師が数名配置されています。「同じ健康保険組合の組合員として公平に扱ってほしい」という思いが要求前進への「力」となりました。

健康診断など充実
 80年、コンピューターを導入した当時は、広島市の「VDT作業基準」を参考にして、医事課職員の作業時間や作業環境のチェックを行い、検診も行いました。また、全職場にVDT業務が増えてきたため、90年からは、1日1時間以上「入力」に従事する職員に年1回検診を行っています。
 また、B型肝炎の感染が社会的問題となった83年、当院でも感染事故が発生しました。まだ公務災害の認定が難しい時期に認定を勝ち取りました。88年には事務職、薬剤師を除く職員のワクチンの投与を実現しました。
 94年には、成人病検診の受診率を上げるために胃透視の日は半日職免となり、98年には市健保組合主催の人間ドックが1日職免となったため、成人病検診時の職免が1日となりました。そして、03年より、健康管理センターで1月〜3月のドック閑散期に予約で行うことができるようにになりました。嘱託職員までがこの対象でしたが、パート職員にも拡大し、全体の受診率も上がり、好評です。97年から腹部超音波を導入し、04年度からはPSAを成人病検診に拡大しました。

継続は「力」
 職場が忙しくて、全員そろわないことがあっても、会議を開いていくことが重要です。今は組合側から5名の委員が委員会に出ています。毎月1回の会議は辛いですが、健康管理の要求が労働組合の大きな課題となっており、頑張らなければと思っています。安佐市民病院に分会が結成されるまでは、広島市民執行委員が毎回出かけてきました。
 今年、病院は「機能評価」を受審することになり、その条件整備のため委員会も毎月開催することになりました。当面は、委員会(会議)と院内巡視を隔月交代で行っています。

今こそ安全衛生委員会
 いま、心身の健康に不安を抱いている職員がたくさんいます。業務が増えても、増員が行われず、新入職員も辛くて退職していく職場となっています。今年はアンケートをとることにしています。
 安全衛生法をもっと学習し、活用できるところを生かし、要求実現の一つの「力」にすることが重要だとに思います。産別的な、そして国民的な運動として広がる可能性もあるように思います。他の職場とも交流し、活動を続けていきたいと思います。皆さんも共に頑張りましょう。
 (この原稿は、04年広島県医労連定期大会での浜喜代子代議員の発言を基にしたものです)