人事院勧告02年切り下げ
賃金決定の根本原則とは
      東京法律事務所  上条貞夫弁護士


 人事院は史上初の「賃下げ勧告」を強行しました。人事院勧告は公務労働者ばかりでなく、民間労働者の給与にも影響を与えます。今回の賃下げは不利益遡及も含み、一層の生活悪化を招く断じて容認できない内容です。東京法律事務所の上条貞夫弁護士は、「賃金決定の根本原則」について次のように述べています。

(1)労働法の定める賃金決定の原則は、何よりも労使対等の立場で決定すること(労働基準法第2条)、それは労働者の労働基本権(憲法第28条。団結権、団交権、争議権)によって実質的な対等の交渉が確保されること、この基本権の行使に関する使用者の介入は一切許されないこと(不当労働行為。労働組合法第7条)が、柱となっていることは言うまでもない。
 国家公務員の給与改定に対する人事院勧告の制度は、その争議行為を全面一律に禁止したことの代償として設けられた。対等決定のための決定的な力である争議行為を禁止することは、もともと憲法第28条違反である。それを合憲だというために政府は、その代わりに人勧が適正な賃金を保障するのだと理由づけた。政府の説明によっても、人勧は本来例外の制度であり、国家公務員の給与を最低保障することが建前とされていた。
 だから、憲法第28条の労働基本権に制約を受けず、労働基準法と労働組合法の全面適用を受ける民間労働者の賃金を決定するとき、人勧をベースに持ち込むことは全く筋違いである。しかも今回の人勧のように、月例給にまで切り込んだ切り下げを持ち込んだことは、なおさら許されない。

(2)しかし、これまで、民間労働者の賃金を切り下げようとするとき、使用者側は、人勧を引き合いに出して、労働組合との中身のある団交を、ことさら回避することがしばしばあった。当該の労使関係のなかで、どうしても引き下げが必要だというなら、その具体的な理由を組合側からの質問に一つひとつ答え、組合側からの反論にも耳を傾け、労使対等の交渉による解決に努力することこそ、本来の使用者の義務であるのに(誠実交渉義務。労働組合法第7条2号)、その中身に立ち入った率直な意見交換を避けるために、とにかく人勧が社会的な水準だからそれに従うのが当然だ、と言って団交を空転させる例が後を絶たない。
 医療産別でみると、最近の日赤当局の年末一時金の団交対応が、その典型であった。本社が各施設長の交渉について、人勧を理由に、その回答まで拘束した。そこから「出せるけど出せない」「本社の方針に倣い支給する」という異常な事態が続出し、全日赤は本社を不当労働行為として東京地方労働委員会に提訴した。
 結局、その人勧を理由とする団交空転政策は、公の場では通用しなかった。「本来の団交を、誠意を持って行なうこと」、という東京都労委のあっせん案を、日赤本社としても受諾せざるを得なかったのである(02年3月25日)。

(3)医療産別に結集する各民間組合も、公務員とは異なる本来の、労働基本権に支えられた賃金の労使対等の決定原則が、法制度として確立されている。その労使交渉のなかで、人勧がアップした場合、それを当該の労使決定のプラスの要素として加味することがあったとしても、それは、労働条件の向上が労使の基本的責務として労働基準法の第1条に明記されていることから(第1条2項)、合理的な対応であった。しかし、人勧が切り下げられた場合、だからといって人勧に準拠して賃金を一方的に切り下げるということは、労使対等決定原則に真正面から違反することであり、決して許されない。
 現に、各民間組合とも、賃金は協定で決まり、協定に基づいて就業規則(給与要綱)に細目が定められている。協定が基本だから、賃金の切り下げは、労組の同意による協定の改定がなければならない。就業規則(給与要綱)を先行的に切り下げることは労基法違反である(労基法第92条)。
 そして、就業規則の不利益変更には「高度の必要性に基づく合理性」が要件とされる(確立された判例理論)。その有無について、十分な団交での協議を尽くさず見切り発車のように就業規則の不利益変更を一方的に強行すれば、仮に改定就業規則の労基署への届出がすんだとしても、内容は違法無効となり、同時に使用者は不誠実交渉の不当労働行為責任を追及される。

(4)史上初の、国家公務員の月例給に切り込むマイナス人勧という事態が生じた、この機会に、国家公務員とは法体系を異にする民間労働者についても、賃金決定の根本原則について、改めて立ち返って権利の基本を再確認することが必要であると思われる。