国立病院・療養所から移譲
たたかいの歴史と運動受け継ぎ

 地域にねざし、医療・福祉を守って運動してきた国立病院・療養所の全医労の仲間が、移譲の中、たたかいの伝統を引き継ぎ新たな道を歩み始めました。


名寄東病院(市)←国立名寄病院

 国立療養所名寄病院は、12月1日、名寄市に移譲、医師会への運営委託で、名寄東病院として、再スタート。これにともない国立療養所名寄病院と全医労名寄支部は、長い歴史の幕を閉じました。
 しかし、引き続き地域医療とはたらくものの権利を守るために全医労名寄支部の仲間が中心となって「名寄東病院労働組合」を結成しました。
 結成大会は、11月14日に名寄市総合福祉センターで開催。来賓には田中日本医労連委員長、地元の「存続と充実を求める市民の会」の岡本会長、道医労連の小刀弥書記次長が出席、激励あいさつをされました。
 病院存続運動の先頭に立ってきた岡本会長は、市への移譲を勝ち取るまでを振り返り「労働組合は絶対に必要」と述べ、新組合結成を祝福しました。その後、組合結成準備会の青山由紀子さんが運動方針、組合規約案などの議案を提案、満場一致で議案を採択しました。役員選挙では、委員長に菅野竹子さんが選出され田中委員長から組合旗が贈呈されました。
 12月1日には、病院へ組合結成通知を行なうとともに、事務所の貸与やチェックオフなどの要求書を提出し、団体交渉の申し入れを行なっています。同日には名寄市と医師会にも通知とあいさつを行ないました。

地域振興協会←国立恵那病院

 国立療養所恵那病院が03年12月1日をもって、恵那市へ移譲されました。
 管理運営は社団法人地域医療振興協会に委託することとなりました。
 これにともない全医労恵那支部は、50数年にわたるかがやかしい歴史と伝統を持つ組織として、医療産別の旗を継承、発展するという方針のもと、11月7日、新組合移行大会を開催しました。この大会には来賓・役員を含め40名余りが出席し、「はたらく仲間の賃金・労働条件の改善をはかることと、患者さんや地域住民から信頼される施設としていくことを、一つのものとして運動を行う」など、今後の活動方針と新規約などを全組合員一致で決定しました。
 この移行大会時点での組合員数は84名となり、過半数以上の組織として、スタートを切ります。
 現在は、引き続き100名を達成するために元気に奮闘しています。12月1日には、施設側に「労働組合結成通知」と「要求書」を提出し、速やかに団体交渉を開催するよう申し入れを行いました。
 新役員には、執行委員長に馬渕米子さん、副執行委員長に鈴村富子さん、書記長に西尾智恵美さんが選出されました。岐阜県医労連の仲間とともに、今後ともよろしくお願いします。

旭川荘南愛媛病院←国立南愛媛病院

 国立療養所南愛媛病院は、03年11月末をもって国立病院としての60余年の歴史を閉じました。最終的には国立での存続は実現できませんでしたが、地域住民のみなさんと力をあわせた運動の結果、医療と雇用(賃金職員18名を含む、全ての希望者が全員正職員として雇用)を守ることができ、地域医療のために地域の住民とともにたたかって「医療の存続」という貴重な経験と大きな財産を残すことができました。
 全医労出目支部は1954年に結成され、1961年の勤務評定反対闘争、1968年の国立療養所特別会計制反対闘争、1980年の賃金職員任用中断反対闘争などの全国的な運動で、支部は積極的な役割も果たしてきました。
 また、結核患者の減少に伴う病床転換として開設された重心医療(1975年)については、支部としてその導入に積極的な役割を果たすなど、一貫して組合員の生活と権利、医療を守るための運動を進めてきました。こうした結果、国立南愛媛病院は、結核治療に大きな役割を果たし、重心医療や高齢者医療にも力を入れ、地域にねざした病院として運営され、地域の信頼を得てきました。
 本年の11月9日に組合の移行大会、移行記念レセプションを開催し、地元の県会議員、地域や近隣の町長、議長、国立南愛媛病院存続拡充させる会の元幹事など、地域住民のみなさんも総勢120名がお祝いにかけつけていただきました。
 12月1日から旭川荘南愛媛病院となり、労働組合も旭川荘南愛媛病院労働組合となりました。旭川荘南愛媛病院労働組合は、全医労出目支部のたたかいの運動と歴史を受け継ぎ、組合員の労働条件の維持改善と南愛媛病院が地域における医療、福祉、保健の拠点としての役割が果たせるよう奮闘する決意です。私たち日本医労連に結集する、組合員一人一人の地域に対する熱意と労働組合の運動こそが、地域医療の変革の出発点となります。このことを全組合員の確信とし、組合員が一丸となって今後も奮闘していきます。